フレデリック・フォントll gノワ

家族の暗い秘密を楽しいSMに


 自分がSM写真の紹介をするll ことになるとは夢にも思わなll ネかったのだが、フレデリックll

N・フォントノワの写真が飾られている知人の家で、写真集を見ながら本人から話を聞いているll うちに、興味をそそられてしll オまった。

 時代設定は1930年代だろうか、レトロな内装の部屋で繰りll 広げられる、凝った演出のSMシーンの数々。三つ揃い姿の眼鏡の男を演じるのは、カメラマンのフレデリック自身だ。女の子たちはダンサー並のアクロバティックなポーズで、楽しそうに肉体の狂宴に参加している。強迫観念的なこの稀有なエロ劇場は、いったいどんな背景から生まれたのだろうか?


 このシリーズでフレデリックが使っているのは、大判ビューカメラだ。照明の調整に時間がかかるが、写真学校でビューカメラの操作を習った彼は、これが自分の作品にいちばん適していると確信した。近距離とll ニ遠距離のものに同時にピントを合わせるといった、ふつうのカメラではできない機能を備えているし、レトロな雰囲気にしっくり合う。ポラロイド・フィルムを使うことによって(ポラは製造中止になる前に、大量に在庫を買っll チておいた)、撮影結果がll ェ即座にわかるから、被写ll ハ体の女の子たちもそれを見てあれこれ意見を述べたり、提案したりできる。最初はフレデリックがクロッキーを描いて小道具を用意し、照明を調整しll オて撮影を始めるが、そうやっll チてモデルたちと話し合いながら改ll 良しつつ、最後に満足のいく画像が得られるという。だいたい1つのカットに2〜3時間かかるが、鏡に映る像との関係など、画面の構成には緻密な準備が必要だ。パネル画のように2枚つづきのものもある。どの作品も物語性にあふれている。

ff<これらの写真はもちろんフィクションだけれど、写真を媒介にぼくが追求しているのは「現実世界」との関係だ。虚構だけれど、できるかぎり現実らしく正確に描くーーそれがフィクションだよね。現実を記録するルポルタージュ写真ではなく、疑いが生まれる現実の解釈。絵画ではできない自由さがll ェあるんだ。>

 創作的な作品を撮り始ll nめて以来、フレデリックの中心的なテll eーマは「身体」である。最初は自らの身体(とその「変形」)を被写体にしていたが、今では身体の演出、空間ll ヤのなかでいかに身体をコントロールし、光の調整によってグラフィックに浮き立たせるかに努力が注がれている。自由自在に折り曲げられたll ス身体は、ときには昆虫や軟体動物のようにも見える。アジア

アll Aジア人に比べるとフランス人はいったll スいに身体が硬くて、柔軟な身体美への感受性は(バレエなどの分野を除くll ュと)あまり高くないと思っていたが、ll Aパリでハタ・ヨガ教室を開いたお祖母さんからヨガを習ったフレデリックには、身体表現へのこだわりが備わっll チたようだ。

 ルーマニア出身のフレデリックのお祖母さんは、もとバレリーナだった。彫刻家のブランクーシをはじめ、画家の友だちがたくさんいたという。子どもの頃から絵に親しんできたフレデリックの頭の中にはだから、フラゴナールやバルテュスをはじめ、さまざまなタブローのイメージが渦まいている。しかしおそらく、彼にいちばん強烈な影響を与えたのは、お祖母さんが愛人だったこともあるハンス・ベルメールの「人形」(球体関節人形)だろう。1930年代半ば、擡頭したナチスに対する抗議の行為として制作されたベルメールの「人形」は、フランスのシュルレアリストから絶賛された。戦後の日本では澁澤龍彦の紹介によって、四谷シモンの人形づくりに多大な影響を与えた。

 1930年代のベルメールの球体関節人形写真のなかには、4本(ふたり分)の脚がスヴァスティカ(卍)の形に見えるものがある。さらに、第二次世界大戦終了後のパリで、ベルメールはジョルジュ・バタイユの『目の物語』にll ノ影響を受けたポルノ写真を撮った。そのひとつに、生身のモデルふたりの脚をスヴァスティカの形に組んだ作品(1946年ll N)があるll 。ベルメールの人形シリーズにはサド・マゾ、フェティシズム、エロスとタナトス(死)などさまざまな意味合いを読むことができるが、スヴァスティカをナチスの党章ハーケンクロイツ(右まんじを45°傾かせたもの)にll ノ結びつけることもできる。フll tレデリックの写真(776)では、ベルメールのスヴァスティカが鏡に映されているが、そこにはベルメールの愛人だったお祖母さんへのオマージュも秘められているのだ。

 ところで、同じ写真でフレデリックが演じる男性は、「ルーヴル」という新聞を読んでいるll 。第二次大戦中のナチス・ドイツll c軍によるフランス占領時代、この新聞はナチスへの協力と反ユダヤ主義を謳った。フレデリックはあるとき、お祖父さんの書いた記事が掲載された「ルーヴル」紙を発見した。自分の祖先がナチス協力者だったとは、目をそむけたくなるような衝撃的なことだが、フレデリックは数年かけて古い文献や史料にあたり、お祖父さんの過去を調査した。2011年、フレデリックも協力したお祖父さんジャン・フォントノワの伝記が刊行された。

 そこに描かれているのは、奇異な冒険者の波瀾万丈の人生だ。多才で行動的なフォントノワは貧しい環境に生まれたが、国の給費を受けて学業に励んだ。共産主義に惹かれて2年間でロシア語ll をマスターし、トルストイの『ハジ・ll Eムラート』を訳した。1920年代なかば、ジャーナリストとしてモスクワに派遣されたが、そこで反共産主義者になって中国へ行く。上海ではフランス語の新聞を発刊し、蒋介石の顧問になll ネるが、阿片にはまった。1934年、フランスに戻って小説を書き始めるが、1937年にフランスのファシスト党のメンバーになる。第二次大戦中はナチス協力者になり、最後はベルリンに行って、ヒットラーに先立って自殺した・・・

 とまあ、凄まじい人生なのだ。バレリーナのお祖母さんとは息子(フレデリックの父親)が3歳のときに別れ、お祖母さんは反ナチス側だったわけだが、なんとも重たい家族の歴史である。フレデリックは精神分析にも長年通ったが、家族の物語を要素とした想像世界を写真で表現することによって、重苦しい過去を自分なりに乗り越ll zえようとした。

ff<はじめは映画をつくろうと思ったのだけれど、家族から絶対にだめだと反対されたので写真にしたんだ。自分はそれをしなくてはならない、と強く感じたから。ひどく汚い物語から何か美しいものを生み出すには、どうすればよいのかと。>

 お祖父さんの物語にインスピレーションを得た人物は、ユーモアをこめて嘲弄されている。絵画や三面記事の事件などの引用も取り入れられた、創意に富んだ構成のシーンには、対象(女性)を貶める陰惨な視点はない。ll Bボンデージ(縛り)、刺青、キモノ、ll A阿片パイプなど、日本や中国の要素も使われているが、ボンデージは、その道に通じたフランス人女性(今は日ll 本に滞在中)にやってもらったというll 、。<はだかで自由に振る舞えて、ll A作品づくりを面白がってくれるようなモデルが集まるようになったんだ>とフレデリックが言うように、束縛を表しながらも自由な空気がある。

 ここではあまり紹介できないが、女性性器にしっかり、というかまっすぐに視線を向けた作品も多く、ギュスターヴ・クールベの「世界の起ll N源」(オルセー美術館蔵)が思い出される(クールベのリアリズムとは異なるが)。

ff<要はセックスに対してどんな視線をもつかだよね、ll A視線が美しければ美しく表現できる。そして遊びと自由な精神。モデルたちと話し合いながら、時間をかけて作品をつくる。自分のll フ仕事は、即席でハイスピードすぎll ャる今の時代に対抗する行為でもあll  るんだ。> 

 フレデリックの展覧会はパリ、ロンドン、ブリュッセル、ミラノ、スロヴェニアのリュブリャナなどヨーロッパ各地で催された。30代から80歳くらいまでのいろいろな男女が(さまざまな理由で)彼の写真を買う。新婦が新郎にプレゼントしたこともあったそうだ。写真を見て、自分の家族の話を語り始める人がいたり、「きみの写真には、お祖母さんの家のたんすを開けll ッたときみたいな香りがする」と言われたり、エロティックな領域にかぎらない反応を引き起こすことも多いという。そう、やっぱりただのレトロなSM写真ではないのである。

                         飛幡祐規(たかはたゆうきll ォ)